粟原森貝3号墳

 

 2号墳と同様に、中女寄(なかみより)から岩坂に抜ける里道の山頂付近にある粟原森貝古墳群に属します。いずれも南側の斜面を削り平坦面をつくり墳丘を築いています。3号墳は一つの墳丘に二つの石室を持つ数少ない双室墳で、桜井市における類例では「舞谷古墳群」などが知られていますが極めて少ないタイプです。双室墳の定義について楠元哲夫氏は一墳丘中に複数の石室さえ存在すればそのすべてを双室墳と呼びうる可能性があることから、次のように定義されています。①墳丘築造当初からあらかじめ石室2基分の構築スペースを確保している事 ②一墳丘中の2基の規模・形態が近く、その相互の位置が対象になり、開口方向なども一致すること。墳丘軸線を中心に折り返せば二つの石室が重なり合う企画性である。つまり墳丘の築成と2基の石室構築に関わる設計図、意図的な一墳丘二石室造営計画が予め準備されている事を双室墳の条件としたいとされています。この定義に合致する双室墳は現状で9例が知られるのみで、県下では他に葛城市の夫婦塚古墳と三室2号墳、3号墳などが知られています。

★ 所在地:桜井市粟原字森貝 奈良県遺跡地図15-Aー160に相当

★墳 丘:2号墳の一つ北西の尾根上にあり径約10m、高さ2~3mの円墳と思われる。

★埋葬施設:1墳丘で東西に2石室を持つ双室墳で約1.8mの間隔を置いて南北を主軸に平行した無袖式の横穴式石室である。西石室は長さ4m、幅1m、東石室は長さ約3.6m、幅1mで、ほぼ同じ規模である。西石室は 開口しているが東石室は土砂が入り込んでいる。

★出土遺物:不明

★築造年代:7世紀前半以降

★発掘調査:未

★被葬者:?