その他


狭井川(三輪)

大和さくらい100選「記紀万葉ゆかりの地」

 

 三輪山の麓から西流する小川に「狭井川」と呼ばれる小さな川があります。

 

古事記では、川の畔に大物主神の子、伊須気余理比売命の館が在り、神武天皇が彼女を訪ねてこの辺りへ来た時、佐韋(さい、山百合)が咲いていたので「佐韋川」と名付けたとあり、古来より此の地は「出雲屋敷」と呼ばれ、建国に関わる極めて重要な場所といわれています。




上ツ道(辻~箸中~芝~三輪)

大和さくらい100選「記紀万葉ゆかりの地」

  6世紀後半から7世紀にかけて整備されたとされる古代計画直線道路で、奈良盆地を南北方向に並行して作られた3本の官道のいちばん東側に位置します。桜井市から天理市南部にかけては比較的、痕跡が残り道路幅は発掘調査により43mと推定されています。

箸墓古墳(桜井市箸中)付近は壬申の乱の古戦場となった事でも知られ今も道路として機能を果たしています。街道筋は昭和の香りがする町並みで付近の名所を巡りながらゆっくり散策がおすすめです。



素盞嗚神社(江包)(すさのおじんじゃ(えっつみ))

祭神は素盞鳴命(スサノオノミコト)。

毎年2月11日に行われる「お綱まつり」では、江包地区で作られた雄綱と大西地区で作られた雌綱がこの神社の前で合体します。途中、慶事のあった家を祝ったり、田んぼで泥相撲を行う。これは古くからの田遊祭りで、豊作をあらかじめ祝う儀式です。

(素盞鳴神社の「鳴」は「嗚」を使う事もありますが、本ページでは現地碑文に合わせて「鳴」の字を使用しております。)

 

奈良県桜井市江包353

 


森本六爾夫妻顕彰の碑

森本六爾は考古学の鬼才と称され、「考古学研究」を発刊。内助の功もあり、次々と新説を発表。唐古遺跡や航空考古学など、彼の研究が没後に的中し、我が国考古学界の先覚者とたたえられている。


三輪の茶屋跡

近松門左衛門の名作「冥土の飛脚」の梅川忠兵衛の恋の逃避行のひとこまの跡どころである。

 

二人は、三輪の茶屋の竹田屋で、20日余りをすごし、新口村へと行くのであるが、この浄瑠璃は近松の世話物として14作目にあたり、1711年に竹本座で上演されて、名作として名高いものである。