粟原森貝(おおばらもりがい)古墳群

  森貝古墳群は、中女寄(なかみより)から岩坂に抜ける山道の山頂付近にあり、いずれもが南側の斜面を削って平坦面をつくり、墳丘を築いています。2~3基を一つの単位とする群が、3~4つあり10基程度が確認されています。周辺に石材が散乱しており、実際はもっとあったのかもしれません。築造は7世紀前半以降と考えられ、いずれも横穴式石室の規模自体は小さいものです。ネットにも殆どアップされてない古墳群で、よほど探索に自信のある方以外はやめておいたほうがいいでしょう。

おすすめ度(☆4.0)・・・探索好きには人気!

 

粟原森貝2号墳

★所在地:桜井市粟原字森貝 (遺跡番号15-A-161)

★墳形:直径約10m、高さ約2mの円墳とみられていましたが、掘割の形状から方墳の可能性が高い。

★埋葬施設:無袖式の横穴式石室。石材表面は切石状に整えられています。石室は全長4.3m、幅1.1m、現状高が0.7mの無袖式石室で比較的平滑化された石材が用いられています。側壁はおそらく3段積みと思われますが、2段目の上部まで土砂が入り込んでいます。

★出土遺物:不明

★築造年代:7世紀前半以降

★発掘調査:未

★被葬者:? 

 

粟原森貝3号墳

★所在地:桜井市粟原字森貝 奈良県遺跡地図15-Aー160に相当

★墳形:2号墳の一つ北西の尾根上にあり径約10m、高さ2~3mの円墳と思われます。

★埋葬施設:1墳丘で東西に2石室を持つ双室墳で、約1.8mの間隔を置いて南北を主軸に、平行して造られたあ無袖式の横穴式石室です。西石室は長さ4m、幅1m、東石室は長さ約3.6m、幅1mで、ほぼ同じ規模です。東石室はわずかに空いた開口部から写真を撮るのが精いっぱいで、西石室は 開口していますが、土砂が入り込んでおりマニア向けです。

★出土遺物:不明

★築造年代:7世紀前半以降

★発掘調査:未

★被葬者:?   

(参考)

 2号墳と同様に、中女寄(なかみより)から岩坂に抜ける里道の山頂付近に位置し、同様に南側の斜面を削り平坦面をつくり墳丘を築いています。3号墳は一つの墳丘に二つの石室を持つ数少ない双室墳で極めて少ないタイプです。双室墳の定義について楠元哲夫氏は一墳丘中に複数の石室さえ存在すればそのすべてを双室墳と呼びうる可能性があることから、次のように定義されています。①墳丘築造当初からあらかじめ石室2基分の構築スペースを確保している事 ②一墳丘中の2基の規模・形態が近く、その相互の位置が対象になり、開口方向なども一致すること。墳丘軸線を中心に折り返せば二つの石室が重なり合う企画性である。つまり墳丘の築成と2基の石室構築に関わる設計図、意図的な一墳丘二石室造営計画が予め準備されている事を双室墳の条件としたいとされています。この定義に合致する双室墳は現状では9例が知られるのみで、県下では、この森貝3号墳の他に葛城市の夫婦塚古墳と三室2号墳、3号墳が知られているだけです。

 

【参考文献】 

・桜井の横穴式石室を訪ねて(桜井市教育委員会) 

・桜井の横穴式石室(桜井市教育委員会) 

・古墳 -桜井市古墳綜覧ー( 小島俊次氏)