カタハラ古墳群(桜井市 倉橋)

1999年に市の一般廃棄物最終処分場整備に関わる発掘調査が実施されて内容が明らかになった古墳群である。音羽山から北西に延びる小規模な尾根上にある。(この古墳群の西側の同一尾根上に有名な赤坂天王山古墳がある。)6基の古墳のほか多数の土坑墓群が存在する。この古墳群で特筆すべきは1号墳が窮窿式とよばれる極めて珍しい石室で被葬者は渡来系集団とのかかわりがあったものと思われている。調査は1~3号墳で4~6号墳は未調査。

●1号墳・・・径13~18mの円墳の右片袖式横穴式石室を持ち南西方向に開口している。現存長は約6m、玄室長3.5m、幅約2m、高さ3m、羨道部長2.5m、幅約1m、高さ1.5m。石材は奥壁が8段程度、側壁が7段程度で構成され高さ約1.5m位から上部を四方から持ち送って角部には三角持ち送りの石材を入れ、角をつくらないようし天井部の面積を狭くした窮窿式(ドーム型)と呼ばれる石室である。出土品としてはは須恵器杯蓋と土師器長頸壷のほか、本古墳出土とされる須恵器高杯などが伝えられている。この古墳群の中では目玉的存在の1号墳の石室は現在、土圧により傾いており安全上の問題で見ることが出来ません(開口部には土嚢が積まれています)

 

●2号墳・・・5.3×4.5mの小型の方墳で周溝をもち墓坑内には、小口部に板石を配した長さ約1.9mの組合式木棺が納められていた。出土品は鉄釘、周溝から須恵器杯と土師器杯が見つかっており築造時期は遺物から7世紀初頭前後とみられる。

●3号墳・・・径約12mの円墳で調査後消滅している。南に開口する両袖式横穴式石室であったが調査時には羨道部の石材はほとんど失われていた。石室の規模は全長約4.3mで玄室長約3.3m、幅約2m、羨道は約1mしか残存していなかった。(石材抜き取り痕を入れると約3.5m)高さは1.3m。石材の構築は奥壁、側壁ともに7段程度で基底石側に比較的大きめの石材を使用し上部は小型の石材で持ち送りも強い。出土遺物は耳環と土器が数点見つかった。築造は6世紀後半頃と考えられている。

●4号墳・・・径15mの円墳(詳細は不明)

●5号墳・・・4号墳と同様、径15mの円墳(詳細不明)

●6号墳・・・赤坂天王山古墳に一番近いのがこの古墳。半壊しているものの横穴式石室があるのを確認した。現状この古墳が唯一見ることが出来る。。奈良県遺跡地図では15mの円墳で横穴式石室。古墳時代後期となっている